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大隈祥弘先輩

 

『海外体験記~チュニジア~』

 

 

 

 チュニジア共和国にて、私が空手道指導を行ったのは2000年から2002年間の2年間です。みなさんはチュニジア共和国をご存知でしょうか?実を言うと、私は派遣されることが決まるまでその存在を詳しくは知りませんでした。その国名から浮かんだ事は、”ハンニバル”、”古代商国家カルタゴ”程度でした。その程度の前知識しかなかった私にとって、チュニジアという国での空手道指導は400字詰原稿用紙千枚書いても語れない程の経験をさせてくれました。サハラ砂漠と月夜、リビア国境近くの任地メドニン、イスラムの空手少年少女達、アラビア訛りのフランス語、オリーブ油だらけの料理、地中海の青い海、独裁政治、一日中カフェにいるぐうたらオヤジ達、等々、思い出すと、きりがありません。

 

 そこでの指導はそう簡単に行くものではありませんでした。ちゃんとした道場が無く、生徒は時間に必ず遅れてくる、派手な技ばかりに気にとられ基本技の練習をしない、試合に勝てない、習った技を喧嘩に使おうとする。そして、日本人コーチの私を煙たがる現地の連盟。どちらかというと問題の方が多かった気もします。正直に言うとあまりにも文化が違いすぎる為、「当初」は効果的な指導ができませんでした。このように言うと、最終的にはうまくいった様な口振りですが、今でもあーしとけば良かった、こーしとけば良かったという心残りはたくさんあります。目に見える成果としては、チュニジアチャンピオンを2人輩出することができましたが、私がここで言いたいのはそんなことではありません。大学時代の経験が、チュニジアでの指導に役立ち、且つ、自らの国際的視野を広げ、成長できる土台になったという事です。

 

 その経験とは、空手道部と六武道で過ごした4年間の経験です。体育会空手道部では、師範に社団法人日本空手協会の中達也先生を御招きしています。先生に本物の技術を学べた事は、身体の大きい外国の人間を技術で納得させるのに申し分ありませんでした。それ以上に、先生が常に文武両道を啓発するような接し方をして下さった事が大きかったと思います。日本の優れた文化の一つである武道、空手道を、自分の言葉で彼らにとことん説明してあげられた事は、先生に出会わなければ不可能だったと思います。そして、獨協大学体育会の六武道という組織にいついて付け加えますと、私が属した空手道部、そして剣道、合気道、少林寺拳法、柔道、弓道というクラブが六つ集まることによって、そこにはひとつの異文化集合体が形成されてます。技や、各クラブの目標、理念、雰囲気、全く違ったのですが、お互いに切磋琢磨することは勿論、様々な面でコミュニケーションをとる機会が多々あり、そこで揉まれた事が異文化であるチュニジアに飛び込んでから非常に役に立ちました。ほかの大学の体育会出身者と話をしても、「その様なシステムはうちの大学には無かった。」と言います。当時の先輩や後輩、または同期の仲間達とは、今でも親しくしています。チュニジアという国は、私にとって間違いなくカルチャーショックではありました。しかし、そのカルチャーギャップを埋める訓練は、大学時代、自然になされていたと思われます。

 

 現在、日本と世界の国々との距離は益々至近距離化していきます。外国語を話せる事も重要です。しかし、それ以上に人間力が問われる事を強く感じました。人間力を培うべき学生時代、たくさんの個性的な仲間と巡り会わせてくれた空手道部と六武道に今も感謝しています。

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