獨協大学 空手道部
清水啓吾先輩
『海外体験記~inドイツ~』
2007年9月~
元来、獨協での勉学で国際感覚を身につけ、ゆくゆくは海外で仕事をしてみたいと思っていたが、その先が結果としてドイツになるとは到底考えていなかった。
2007年8月にドイツ訪問の大隈師範に忙しい間を縫ってもらい長電話をさせてもらった。(残念ながら仕事の都合上、再会は果たせず)懐かしい話に花が咲き、また日独での空手事情を話しているうちにその内容でも書いてみようと思った。後輩諸君が今後の人生、空手習得において幾分でも参考になれば幸いである。
1.『ドイツの空手事情』
ドイツ国内でも最近のドイツ人は、特に若者はだんだんだらしなくなってきたと嘆かれる年配の方が多くいるがニュースや知人等に聞くところ日本でも同様ではないのだろうかと思わなくはない。やはり物質的な豊かさの頂点に立った、特に工業先進国ではどの国も同じ傾向(精神的にだれる時期)が見て取れるのではないだろうか。しかしながら、それでも彼らの性格は欧州内でもいまだ総じてまじめな人間と言えるだろう。
特に空手(武道全般)を学ぶドイツ人の多くは、やはり空手道を通じ、西洋精神思考にはない日本の哲学を学ぼうとする人間も数多いと思われる。筆者が本校空手道部に入部した際の「ブルースリーになりたい!」などという動機は大人では意外に少ないのではと思われる。
ドイツ国内では、空手総人口からするとやはり、越智師範(獨協大学初代空手道部師範)のドイツ空手協会をはじめ松濤館系(越智師範のところで学ばれて後に独立した方も多いのでは)が一番多いと思われる。これらの功績はやはり越智師範の長年の情熱、努力のご指導が実を結ばれての結果と言わざるを得ない。ドイツ空手協会が構成する空手連盟「DJKB」は、WKFの流れを組むドイツ空手道連盟「DKV」とは一線を画している。日本国内における全空連と日本空手協会とも例えられるかもしれない。(スポーツ競技としてのkarate,武道としての空手道)
悲しいかな、歳月が経つたびに、多くのドイツ人指導者が育成された(喜ばしい?)こともあり、ドイツに限らず欧州内でヨーロッパ人主導のヨーロッパ流「カラテ」に変わってきていることは悲しいことであり(WKFの流れを見れば一目瞭然)、また空手オリジナルと言える日本人指導者が減少傾向にあるのも事実である。
そんなヨーロッパでの傾向の中にあり、その指導力で、絶大な尊敬を集められる越智師範はドイツではカリスマである。金澤師範→越智師範と受け継がれたドイツ空手協会は一枚岩のごとく思われる。言うまでもなく獨協大学空手道部初代師範であられる越智師範のもとで現在稽古させていただくことは至福の至りである。
大隈師範も指導参加された今年のドイツ空手協会合宿においてはドイツ全国から協会信者が集い、その参加者の数たるや日本では想像を絶する人数になり、大きな体育館が毎年一杯になるほどである。驚くのは参加者の家族には空手をされていない人も多くいるが、この家族も連れて来ることができ、家族が退屈しないようにと合宿主催者側が色々なアクティビティーを用意してくれているということである。
例えば、パパが合宿に参加し、ママは午前中稽古がある体育館近郊でエアロビのクラス、子供達は、臨時保育園等々がありパパ本人が稽古に集中できるというサポート体制だ。かぞっくとの時間を大切にするドイツ人にとって合宿期間中にパパの勝手で1週間も家にいないということは家庭によっては致命的になる可能性がある。(ドイツの離婚率高)家族持ちの参加者もこうして安心して参加できる心待ちの1年の一大イベントなのである。ドイツにいると金だけでない「ライフ オブ クオリティー」を実感させられる。残念ながら日本はこういうサポートは考えられていない。
道場の知人数人からも大隈師範の評判を聞いた。元気一杯の指導に「センセイオオクマはSuper Kumite-man」とか「明るい楽しいセンセイ」だとか、年配の大隈先生の中に混じり、非常に評判が良かったことは同空手道部出身の著者としても嬉しい限りであった。道場にて仲間内の歓談の中で、日本での空手道部時代の事など偉そうに語れ、大隈師範が先輩ではなく後輩でよかったと思った瞬間であった・・・。
現役の皆さんは越智師範を初代師範として、何代もの大師範の後、現在大隈師範へと脈々と受け継がれてきた素晴らしい空手道部であることを誇りとし、今後の空手修行に励んでいただきたい。これだけの先生方は地方にいたらそうはいかなかったであろう。
2.『ドイツ人とはなんぞや』
さて、筆者の目から見た、空手(ドイツ空手協会において)、実生活を通してドイツ人と日本人の違いとは:
a:肉体面では男女ともに身長が高く、手足が長い、いわゆる欧米人体系である。大隈師範でさえドイツ、特に北欧では平均的な身長になってしまう。彼らとの稽古を通し体験したのは比較的体の使い方が硬い人が多いこと、しかしながら骨太で力があり、油断してゴチンと当てられた場合は非常に痛い。日本人とドイツ人、同じ体系の人がいたら、ドイツ人の方が体にあんこがぎっしり詰まっているというか、比重が日本人とは明らかに違う。たかが人口8千万人のドイツであるがスポーツ界ではアメリカ、中国、ロシアに次ぐメダル大国でありスポーツサイエンスでは世界トップを行くドイツ。過去、協会の世界大会においてもその実力が証明されている古豪であり、日本勢にも肉薄している。
b:まず理論が先行して、体の動きで効果を実証してあげないと納得しない。理論、悪く言えば理屈を大切にする。世界的にも長きに渡り先進国、発明先進国という優れたドイツとは常に科学的思考(必ず理論の裏付けあり)からきているのではと思われる。
故に最たる例として「形分解」は彼らが大好きな稽古内容のひとつと言える。明確な答えが分からない中で形稽古を続けるのはおそらくドイツ人にとってストレスを感じることであろう。ここでは指導者、黒帯たるや形の動作の意味をよく熟知しかつ相手に納得できなければ尊敬されるのは難しい。日本では静かに「押忍」で終わりだがこちらでは指導者に対し厚かましいのではというくらい質問する場合もあるようだ。
c:空手の稽古内においても比較的言論の自由がある大きな理由は上記によるドイツ人の性格と、恐らく日本のような厳しい上下関係がないからかと思われる。と言えど礼節は礼節。ドイツ語を専攻あるいは第二外国語を専攻している後輩諸君は理解いただけるかもしれないがドイツは他欧州各国と比べても他人に対しての言葉遣い、特に敬語が厳しい国である。通常、道場内では道場生間では敬語不要であるし、ドイツ人師範に対してもある程度の仲になれば道場生も敬語なしでしゃべっている場合が多いようだ。状況により、一概には言えないが一般常識として、それでも英米のように「はじめまして」の直後に「Please call me Mike」はまれなケースである→最初はMr.Smithで呼ぶのが普通。ただし、議論等するときは上下関係、年齢差にこだわらずはっきり自分の意見を語れる環境がここにはある。ここでは口を開けない人間は意志がないと思われ決して肯定的には思われない。茶帯の道場生から「肘の角度が違う」等々ご指摘を受けるときはドキッとする。
d:「欧州」という言葉は、「アジア」という言葉が日本から全く文化も神様も違うサウジアラビアを網羅する言葉であるように、特に多様なヨーロッパがあることがこの言葉からではわからない。ざっくり言うと、ラテン、ゲルマン、スラブに大分類できる。このお三方、性格が全く違う。他のヨーロッパ諸国にもドイツ人とは全く違う人たちがいるのだ。それに加え、以外にも現在のドイツは小アメリカに例えられそうな移民国家だ。人口の10%は外国出身者。トルコ出身者を筆頭に旧ユーゴスラビア諸国、イタリア、最近はアフリカ諸国出身者。もっともこの状態はドイツ国内に限ったことではなく古くから植民地政策を施行してきたフランス、イギリスでも顕著である。ブラジルのように混ざり合わず、各エスニックグループが、各地に居住区を構え固まり、ドイツ国内でもドイツ、非ドイツ人居住区がはっきり分かれて生活するというある意味でアメリカ的な分散現象が起こっている。ドイツ人は内輪でこれら居住区を「ゲットー」と呼び、嫌悪感からこの地区には足を運ばない。過去の経験から公には言ってはならないと自覚しているドイツ人ではあるが、特にイスラム教徒であるトルコ人に対しての意見は共通する場合が多い。彼らとの共存共栄は特にヨーロッパにおける今世紀最大のテーマであるとも言える。
ただし、著者の経験からすると外人と言えど、日本人は概してドイツ人にはニュートラルな立場で、好きでも嫌いでもない「Harmless」な外人といったところか。日本自身に対しては小さな「ちんちくりん」な人々というイメージがあるが、それでもその容姿イメージを克服するだけの文化、経済等誇れるものは数知れなくあり、ドイツでも分かる人はわかるのである。最近はトラディショナルなものだけでなく、漫画、アニメ等の日本的ポップカルチャーが欧州のを席巻しており、我が幼き息子達にも例外ではなく、「ポケモン」、「遊戯王」はじめ大人気である。
偉大なるドイツ文化(欧州文化)に自分が押し流されそうになった時は、自分のアイデンティティーを「空手道」を習っていると言うことを再発見することで大いに救われた。著者にとってたまたまそれが空手であったということであり、日本発祥の世界に誇れるものであればなんでもいいのであろうが。ヨーロッパ生活の中でこれらを体感、実感できた。
皆さんも大学での勉学、空手修行を通し卒業後は地球狭しと頑張っていただきたい。ドイツに来た場合はぜひ我が家に寄ってもらい、大いに語ろうではありませんか。